医療制度と情報発信

クロストーク

ヨシヲ
30代薬剤師。趣味は浅く広くが多い。最近は、ボードゲームにハマってる。

アロス
30代薬剤師。スポーツはやるのも見るのも好き。特に、野球とサッカーは詳しい。最近はアイドルにハマっている。


医療制度の話

ヨシヲ:これ、読んだ?
どっち寄りの考え方っすか?

アロス:
1つ1つの項目で頷ける数は医師側になりますよね。
ただ、長谷川サンの言っている、専門職や当事者しかなかなか触れる事の無い領域に関して、世間が意見を持ってくれる、て意味では全く無意味な行動ではないのかな、とも思いました。
頷ける箇所もありますし。

ヨシヲ:
長谷川豊さんの主張で引っかかるのは、医師の指示を守れば透析にはならないって部分だと思うんだよね。
守らなくて透析になる人は当然いるんだけど、守っても透析になるならどうするのか、っていう。
実際、医師の指示を守っても症状が改善しなかった患者さんに対して、嘘をついていると医療者に思われれば、指導に従わなかったせいで透析って言われるのかな、と。

アロス:
そこは、この医師がキチンと説明してると思いますけど、やれる範囲の事しても遺伝的に治療を受けざるを得ない人はでてきますよ!て部分ですよね。
そこの線引きは無理でしょうね…透析みたいに死に直結しちゃう状況ではなくて、使い方を理解しようとせず、患者が自己判断で大量に薬を使用してしまう、などは現状よりも、もう少し厳しくしても良いのかな?と思ってます。

ヨシヲ:
医療費抑制の方法論を考えたときに1件のインパクトに頼ると透析みたいのがいいけど、患者個々の薬剤の使用量で考えると1件のインパクトが薄くても広く適用できるもんね。
治療効果が出ない時の原因が、遺伝なのかそれとも患者の嘘なのかっていう境目は、医療者と患者の性格的な部分が大きい気がする。
透析って行為そのものは、 延命行為だと思うんだよね。
開始した段階で、やめれば亡くなるのが一般的だ、っていうことを理解している点で。
そうなると、透析の話をはじめると論点が延命行為の是非になっちゃうんだと思うんだよね。
保険制度を考える際に、透析に至る疾患や、悪化の原因になった生活習慣の前に考えることがあるかな、と。
どこからどこまでが延命行為だと考えるかって言う。
医師側のアメリカでの保険制度の紹介に繋がる部分だと思うんだけど。
大量に薬を使用することに対して厳しくするのは、患者?医療者?

アロス:
渡した分だけ使用してしまう患者には渡す量の制限は必要なのかなと感じています。

ヨシヲ:
こないだの改正で貼り薬は1回に渡す量が制限されるようになったよね。

アロス:
ストックとして不安だから持ちたい人と判断力、理解力が無くて、ただ漫然と確保したい人の区別は必要かなと。
後は薬の使用を厳しくする前段階として、現代人が、50年前の人達と比べて、日常生活においての運動量は確実に落ちていると思うので、それに対応した食生活の提唱なんかはした方が良いとは思いますし。個別に考えて、職種によっても、運動量の格差も多岐にわたってると思うんで、成人は1日3食は必ずしも守らなくて良いとか。

ヨシヲ:
そういう意味では、一般的な情報なのか、個別の情報なのかって線引きを考えて話を聞く必要はあるよね。

情報発信の話

アロス:
本のタイトルって出版社が決めたりする事が多いって知ってましたか?

ヨシヲ:
売れるように、でしよ?

アロス:
そうですね。
手に取って貰わないと、どれだけ良い情報を書いても、誰にも届かないからです。
情報を発信したり、声をあげる意味って、企図する目的。
企図した事によって起こった結果で批評したらどうかな?と少し思っていて。

ヨシヲ:
どゆこと?

アロス:
情報発信後の動きって大まかに分けて、3つのパターンに分かれると思うんですけど、
① 本人の意図する方向で、何かが動く(何かのためになる、誰かのためになる)
② 本人の意図しない方向で、何かが動く。
③ 何も起こらない。

ヨシヲ:
うん。

アロス:
で、過激な表題で煽るなら③では意味が無いとは思うんですよ。
②でも結果的に何かが動けば、行動した意味も出てくるのかな?と。
なので、項目1つ1つの単純な是非だけでなく、こんな視点からも眺めてみたら面白いのかなと。

ヨシヲ:
行動の評価をするときに、行動の内容ではなくて、世間がその行動にどのようなリアクションの取ったかを、評価の基準にするってこと?
どこまでが「何も起こらなかった」と定義するかによって違って来るとは思うんだけど。
俺は、この記事が世間を動かすことを意図してるのかどうかはよく分からないと感じたんだよね。
情報発信によって世の中を動かそうとしているわけではなくて、人間、長谷川豊はこういうことを考えているんですよ、っていうことを売ってるんじゃないかと感じる。

アロス:
僕は、長谷川サンは医療保険のシステムを変えて欲しい!て部分がまずあって、その1例として派手な見出しは欲しい。
それなら透析だ!となったのかなぁと思いました。

ヨシヲ:
同じ文章を読んでも、情報を発信したいと取るか、人物を紹介したいと取るか、受け方は違ってくるもんだね。

アロス:
なので、今回の話は①か②にはなってると思うんですよね。
これが、相模原の事件みたいな訴え方だとマズイですけど、文章書いただけですもんね。
勿論、殺せ、みたいな表現は良いとは思えませんけどね。

ヨシヲ:
そう考えると、情報発信の役割って「火がついてるぞ」っていうだけなんだよね。
そこにある「火」がどういうものとして紹介するか。
内容の選択から、どの程度、どの角度からっていう解釈が加わるわけで。
個人のジャーナリストとして、真実を明らかにしたいという思いがあったときに、真実を明らかにするという意図と、拡散性と、自らの価値観のバランスの上で情報発信していると、受け手は解釈する必要があるのかな。

アロス:
ネット社会になって尚更そう思いますよね。
子どもの頃って活字になってさえすれば、それなりに信用できるのかな?って思ってしまいがちですよね。
当たり前ですけど、情報の質って活字書いてる人間にもよりますからね。

ヨシヲ:
よくわからない肩書きに騙されたりね。

アロス:
なので、あのblogによって何かが動いて、何かが変わるのならば…ああいったblogを書くのも長い目で観たら意味があるのかなと思ってたりもしています。

ヨシヲ:
世の中を良い方に変えるのが難しいのは、本当に良い方か検証することが難しいからだと思うんだよね。
その時に信じたことをすることしかできない、っていう。
またそこに、注目を集めるためだけに発言する人がいると、複雑さに拍車がかかる。

アロス:
1人の人間が生きてる間では検証しきれない事もありますしね。
さらには、ここ50年の間にも、年々1年で世の中が変わるスピードは増していると思いますし。
コスト面、致命的な失敗が予測されないなら、ある程度は動いてみる、って姿勢も大事なんじゃないかと。

ヨシヲ:
もし、医療制度改革みたいに大きいことをやろうと考えた時に、できることからコツコツやって、目標に達するのって大変だと思うんだよね。
致命的な失敗の可能性を抱えずに達するのって、逆算して頑張るのも想像しただけで途方もない労力がいる。
それが、ネット上での炎上だったり事件を起こしたりして世間的に話題になって注目を集めて、思うように世界が動けばって希望を持ってことを為す人がいる、っていうのであれば、危険な傾向だと思うんだよね。

アロス:
事件や事故に繋がってしまうような行動は良くないと僕も思ってますよ。
アイスバケツチャレンジみたいのはどうなんですかね。
興味を持ったり調べたりする人は出てくるかなぁ?って思いますけど。

ヨシヲ:
求める結果に対して、ダイレクトにアプローチする訳ではなく、注目を集めることで意識がそこに向かうことで事態の打開をめざす、と。

アロス:
事件を起こしたり、過激な発言で人が傷付くのよりマシなのか?と考えるかで比較に出してみました。

ヨシヲ:
リスクを下げて衆目を集める方法は、50年前より確実に増えてるけどそれが変化に繋がってるかってとこだよね。

アロス:
かと言ってそれ以前の打ち壊し、大塩平八郎の乱みたいな事をするのが建設的とも思えませんし。

ヨシヲ:
テロも炎上も、影響を与える方法が、現在から連続しない状態で変革を目指すって方法論なんだよね。

アロス:
継続的な視点は欲しいですよね。

-その後、降板になっちゃったんですね・・・。

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