目的と手段

立ち止まって考えることがある。

それは、「目的」なのか。
それとも、「手段」なのか。

中学生が勉強するのは、何が「目的」なんだろう。
いい高校に行くのが、「目的」なの?
ただ学ぶことが「目的」なのか。

そもそも中学生が勉強するのは「手段」なのか。
いい高校に行くための「手段」なの?
学ぶための「手段」なのか。

それが「目的」であるか、「手段」であるかは、気を抜けばすぐに分からなくなる。
結婚は?
就職は?
いずれも、「目的」とも言えるし、「手段」であるとも言える。

結婚することが目的だと、きっと結婚生活はうまくいかないだろう。
結婚生活を続けることが目的だと、きっと結婚生活は楽しくないだろう。
結婚生活を楽しくすることが目的だと、もしかしたら結婚生活は楽しいかもしれない。

その人とできるだけ長く一緒にいるための手段で結婚するかもしれない。
結婚することが、できるだけ長くいることにつながらないかもしれない。
相手はどう思っているんだろう。
相手もできるだけ長く一緒にいたいと思っているのだろうか。

今の見た目で選ばれたのではないか。
今の収入で選ばれたのではないか。
もし、相手が望むものを持っていたから結婚できたのなら。
相手が望むものを失ったら、離婚することになるのだろうか。

どうして、その人とできるだけ長く一緒にいたいと思うのだろう。
それは、本能なのか。
それは、打算なのか。
ずっと、一緒にいたいと思うのだろうか。
その人と一緒にいたいと思うのは、何かを持っているからだろうか。
それをその人が失ったら、離婚したいと思うのだろうか。

その人とできるだけ長く一緒にいると、私はどうなるのだろうか。
得るのだろうか。
失うのだろうか。
変わらないのだろうか。

目的は不安定。
手段も容易に目的になってしまう。
鮮明な目的は、幻想なのだろうか。

どんなに不安定で、不確かであったとしても、目的はないよりもあった方がいい。
目的は、生きていく上でのコンパスになりうるから。
目的がコンパスと大きく違うのは、そのコンパスが正しいかを自問しないと容易にくるってしまうこと。
その自問すら、正しいかどうかは分からない。
思い込みでも、強制でもなく。
このコンパスに従って生きている自分を肯定できるか。
もし、否定するならどんなコンパスがいいのか。
はかなく、不安定で、信用できないコンパス。

大事に育てていきたい。

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