怪我をした時、痛くて泣く子もいれば、怪我をしたという事実で泣いてしまう子もいる。
ギャンブルで負けたとき、予想が外れてお金が減ったと感じる人もいれば、予想が外れて悔しいと感じる人もいる。
お金が減ったと感じる人は、恐らくて減ってしまったお金でどう過ごそうかと考えるのではないか。
悔しいと感じる人は、次は当てようと思うのではないか。
付き合っている異性に振られた時はどうか。
振られたという事実を悲しむ人もいるし、この人と別れるということを悲しむ人もいるだろう。
その後の反応はどう変わっていくのだろう。
振られたという事実を悲しめば、次の恋人を探そうと思うのではないか。
または、振られたという事実をなくしてしまおうと思うのではないか。
この人と別れるということを悲しむ場合はどうだろう。
この人ともっと一緒にいるために何とかしようと思うだろうか。
次に同じような人がいないか探すだろうか。
相手の言動で自らの感情が揺り動かされた時、果たして自分は、その事実のどこに感情を刺激され、反応しているか正確に理解しているのだろうか。
感情を刺激された部分を正確に把握し、他者を修正しようとするだろうか。
それとも漠然と他者を修正しているのだろうか。
または、それを受け入れ、他者の修正にいたらないだろうか。
どの事実で自分の感情が刺激されたかということを自覚できて、それを冷静に見つめることができれば、他者を修正する前に自分を修正するのではないか。
自分を理解することが、他者への寛容さにつながるのではないか。
つまり、自分の基準で大切ではない部分においては、本当は他者に寛容になれるのではないか。
ただし自分が大切にしている基準では、他者に厳しくなってしまうことも自覚できる。
その時の対応は、自分の基準を深く理解しているかどうかによって大きく変わっていくのではないか。
自分が大切だと思っていない部分を刺激されたのに、反射的に大きく反応してしまったりはしていないだろうか。
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