バーコード風の髪形と先入観

最近電車やバスに乗ることが増えたなおきちです。
学生もいれば、社会人もいます。
若い女の子のスカートの短さが気になることもありますが、今日は髪型の話です。

これまでずっと、バーコードヘアーおじさんを見るたびに、「そんなに髪の毛に未練があるのか。いっそのこと全部剃ってしまえばいいのに」と思っていました。
ある時、テレビの番組で「残り少なくあった髪の毛を全部剃ってしまえと言うのは、財布の中にお金があまり入っていない状態を見て、お金を全部捨てればいいと言っているのと同じだ」と言う意見も聞いたことがあります。
それはそれで1つの真実を示しているようにも思うのですが、私は今回はバーコードヘアに対して、別の考察を持つことができました。

それはつまり、「バーコードヘアーは、自覚症状がない状態」ということです。

通常我々が髪の毛のセットする場合、鏡の前で櫛を持ち、ドライヤーで髪をとかします。
この時、イメチェンや、散髪後に気にしたりということがなければ、髪型が変わる事はあまりありません。
すると何年単位または何十年単位で同じような髪型を毎朝セットすることになるのです。
しまいには、鏡を見ずとも髪の毛のセットができるようになることも考えられます。
するとどうなるでしょう。あったはずの髪の毛がなくなっても同じように毎朝作業することになるのです。
また髪の毛をセットする場合、特に忙しい朝は自分の髪型は360度チェックすることはあまりないと思います。
つまり正面から見て成立した髪形であれば問題ないのです。
さらに、風で髪形が乱れたとしても、手で触るのは前髪中心です。
初期のバーコードヘアに気づかないまま、そのまま緩慢に髪の毛が減ってくれば自覚症状の薄いまま、立派なバーコードヘアになっていくのではないかと思うのです。

もし、バーコードヘアが、人間の認知能力が生んだものだとしたら。
他にもたくさん、同じ構造で起こることはあります。
体重計に乗らない人の、体重。
学ばない大人の、知識量。
文章を書かない人の、作文力。
文字を書かない人の字の、綺麗さ。

気づかないうちに少しずつ失われていくもの。
失わないようにしたければ、維持するための努力が必要です。
がんばればすぐに戻るかもしれません。
でも、失ったことにきづかないことも、たくさんあるのです。

少なくとも僕はもう積分ができません。

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