おはようございます、なおきちです。
数年前、悩み事に振り回されて、普段考えすぎて、悩んでしまうことが増えてしまい、困っていました。
そんな時、「瞑想」がいいよ、と聞き、瞑想に興味を持って、自分なりに試行錯誤しながら実践して2年位になります。
自分が「やってみよう」と思った時に、どこから手をつけていいのかさっぱり分からなかったので、一度まとめてみようと思います。
ポイント
正しいかどうかは置いておいて、続ける
集中力をつけることが目的
「できた」ことにこだわらない
瞑想に対するイメージ
宗教的で、いかがわしい。瞑想が趣味とか、スピリチュアル的で怪しいな、と思っていました。
今でも瞑想にハマってるときけば、まず怪しさに全力で防御姿勢をとります。
瞑想を勧めるネットの記事や、宗教色の薄い書籍を読むと、科学的にその効果が証明されていると書いてあるので、試してみようか、考えるよ
うになりました。
そんな中で一番偏見を打ち砕いたのが、週刊少年マガジンで連載されている「ベイビーステップ」に、お寺での坐禅のシーンがあったことです。
マガジンで、テニス漫画で坐禅が出ているならいかがわしくないだろうという、マンガからの知識で生きてきた人間としては至極まっとうな流れで、瞑想の世界に入って行きました。
世間では宗教色を除いた瞑想ということで、マインドフルネスと呼ばれることもあるみたいです。
実際に瞑想を生活に取り入れて、効果があるかと言われれば、ないかもしれません。
他の方は分かりませんが、瞑想をはじめても超人にはなれません。
ただ、過ごしやすくなります。
それは、瞑想によって心の安定ができるのではなく、瞑想によって、自分の思考がとっちらかっているな、と自覚できるからです。
小池龍之介さんの著書「自分を浄化する坐禅入門」等に、事実を認識したときに、否定するでもなく、改善について考えるでもなく、まず事実をありのままに受け止めることが大切、とあります。
つまり、自分の心に何らかの「刺激」があったさいに、脊髄反射的に「反応」するから集中できない、ということなんだろうと思います。
瞑想をすると、刺激から反応が脊髄反射的ではなく、刺激を自覚して、反応を自覚して、と順番にできるようになります。
人間は、刺激を受けるだけでは疲れませんが、反応すると疲れます。
刺激に対して全てに100%反応していては、疲れきってしまいます。
中には、しなくていい反応をすることもあるでしょう。
瞑想をすると、自分の思考を客観的に観察できるようになります。
ただそれは、常に観察できるわけではないです。
徳の高いお坊さんであれば、どんな刺激に対しても反応をコントロールできるのかもしれないですが、一般市民の私には無理です。
ただ、観察できる確率が上がれば、少し楽になると思いませんか?
というわけで、続く。
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